~Lemon/米津玄師~



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次は何をするの? どこに行くの? ねえ、■チャン。

 

…………? 待ってよ、一人でどこに行くの?

 

みくの事、置いていかないでよ。 ねえ。 ねえってば。

 

待って…………待ってよ…………!




ぱっ、と目を開く。暗く沈んだ空間と、部屋の天井が見えた。

ちょっと前まで、何かしていたような、何もしていなかったような……

寝ぼけた目をこすると、自分が布団の中にいることに気が付く。

 

そうか。みくはさっきまで寝ていて、きっと何か、はっとして起きたのだろう。

夢を……見ていたような。どんな夢だったろうか。

誰かを呼んでいたような……よく、思い出せない。

誰か……まだ、思い出せるかもしれない。

 

………………

Pチャン。

 

ふと、自分の口からこぼれた名前。

今は、もういない人の名前。

大切だった人の、名前。



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ある日、みくが事務所へ行くと、そこには誰もいなかった。

机に座って授業の復習をして待つこと、数時間。

 

「…………あら、みくちゃん。来ていたんですね」

 

入口の方から、ちひろさんの声がした。

 

「んにゃ。おかえり、ちひろさん」

 

頭を上げて、返事をする。

……それから、また少し時間が経ち。

 

「……あの、みk」

「もうこんな時間だ。そろそろ帰ろうかにゃー」

「あ、何か用かにゃ、ちひろさん」

「あ……その、いえ。気を付けて帰ってくださいね」

「うん。それじゃ、お疲れさまでしたー」

 

その日は、そのまま家に帰った。

次の日はお休みだったし、誰からの連絡もなく、何事もなしに時間は流れていった。

今までも、これからも。そうして流れていくものだと思っていた。

 

それが壊れてしまったのは、また事務所へと足を運んだ時だった。

 

「……あの。もう一回、言ってくれない?」

「……その……私としても、とても言いにくい事なのですが」

「みくちゃん。今度から、新しいプロデューサーさんが、あなたの担当になります」

「これまでのプロデュース方針とは違うかもしれませんが、これからも」

「えっと。……今までのPチャンはさ。どこ行ったの」

 

この事務所に来るまで、みくはいろんな事務所を渡り歩いてきた。

だから別に、プロデュース方針が変わることなんて、今更気にならなかった。

それよりも、気になることがひとつだけある。大事な大事な疑問がひとつ。

みくのPチャンは、一体どこへ行ってしまったのか。

 

「プロデューサーさんは……その。みくちゃんには、教えられません……」

「なんで?」

「……守秘義務、というものがありまして」

「どうしても、教えてくれないんだ?」

「……ごめんなさい。それだけは、どうしても教えられません」

「…………そっか。はあ。プロデューサーが変わるのにゃー」

「みくちゃん……」

「まあ、また事務所が変わったと思えば。きっと、いつも通りだよ」

「それにしても、Pチャンは酷いね。何にも連絡なしにどっか行っちゃうんだから」

「この前だってそうだよ、Pチャンてば、ショッピングモールで迷子になっちゃってさあ」

「……ちひろさん、みく、今日はもう帰るね」

「……はい。来週から、新しいプロデューサーさんが来ますから、また、頑張って行きましょうね」

「うん。それじゃ、またね」

 

事務所を出て、すぐにスマホを確認する。

Pチャンからの連絡は何もなし。

メールを打ってみる。電話をかけてみる。

どれも、手ごたえ無し。Pチャンには、何一つ繋がらなかった。

 

Pチャン、どうしちゃったのさ。

空を見上げても、ただただ青く、青く。

みくの心とは裏腹に、妙にいい天気がみくを貫く。

 

どうして、こうなったんだろう。

みくがいけないんだろうか。アイドルとしての格はまだ低いし、仕事もまばらだし……

もっと頑張れば、Pチャンは何処にもいかなかったんだろうか。

 

いや。Pチャンの個人的な理由かもしれないじゃないか。

ただ、みくを置いていかなきゃいけないような、急な理由があったんだよ。

だから、プロデューサーをやめて、何処かへ行っちゃったんだにゃ。



だから。だから……だから、なんだというのだ。

Pチャンがいない。もう、会うこともない。

みくは、また、一人ぼっちになった。

 

そうだ。Pチャンと会う前に戻っただけなのだ。

別に……別に、そんなこと、どうってこと……

 

気が付けば、みくは家に帰りついていた。

いつもの通りに靴を脱いで、いつもの通りに手を洗い、うがいをして。

鞄を置いて……ベッドに腰掛ける。

 

今までのことを、思い返してみる。

何をどう思い出しても、今のPチャンとの思い出ばかりがあふれ出してくる。

そう言えば、今までで一番、アイドル活動が上手くいっていたような気がした。

その前は、どうしていたんだっけ。一人でやっていた時もあったはずなのに……

 

みくの中には、現在の”前川みく”という思い出しか残っていなかった。

だから、みくの隣にいた”Pチャン”という人物がいなくなったことが。

こんなにも。こんなにも、辛いものだとは、思ってもみなかった。

 

つらい事も、苦しい事も、幸せな事だってもちろん。

みくの隣には、ずっとPチャンがいた気がして。

Pチャンのいない時間なんて、なかったような気がして。

 

「うっ、うぐっ」

 

何故だろう。どうして、たった一人、消えたくらいで。

 

「う、あ、わあああああああああああ」

 

こんなにも、こんなにも、どうしようもなく、悲しくなるのだろう。



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暗く静かな部屋の中で、そんな事を思い出しながら。

ベッドの頭の棚をまさぐり、イヤホンを手に取って、音楽を聴く。

それは、Pチャンと一緒に作った歌だ。

Pチャンにアイデアを出してもらって、みくが頑張って生み出した詞だ。

作曲家の先生から曲が出来上がってきたときは、二人で喜んで聞いたっけ……

 

曲を聴いているだけなのに、Pチャンがいないという現実がどすんとのしかかるような。

とてもとても重苦しい気持ちになる。

どうして、どうして。

もうどうしようもない事なのに、どうしても、その想いが拭えない。

 

気が付けば、少し呼吸が荒くなっている。

また、泣きそうになる。

ただただ、辛い、苦しいよ、Pチャン。



Pチャンは、どこにいるの。みくは、ここにいるのに。

帰ってきてよ……また、一緒に歩いていきたいよ……



急に、音楽が消える。

何事かと思えば、スマホの充電が切れてしまったようだ。

 

スマホに充電ケーブルを挿しながら、思う。

充電が切れてしまっても、また充電すればスマホは動く。

みくだって、充電が切れてしまっただけだ。

またきっと、何かしらの強いエネルギーが流れてきて、充電されるはずなんだ。

 

別に、Pチャンじゃないプロデューサーでも、アイドル活動は続けられるし。

ちゃんと意見を言えば、みくの意向だって聞き入れてくれると思うし。

極端な話、これを機にアイドルやめたって、別に生きていけるんだ。

 

みくは、ちゃんと生きていける。たぶん、大丈夫。

だから、だから……でも、忘れられないよ。

 

みくを、アイドルとして、少しの間だけでも、強く強く輝かせてくれたのは。

他の誰でもない。Pチャン。貴方だけだったのに。

どうして、いなくなってしまったの。

ただただ冷たい事実だけが、みくの中に残る。

 

ちゃんと、寝なきゃ。

また明日もある。寝不足で、いつも通りにしていられないのは御免だ。

……でも。Pチャンがいなくなって一か月くらいは、暗かったかも。

 

一か月くらい。たったそれだけで、”Pチャン”はみくの中からいなくなった。

そのことが、寂しくないわけじゃない。悲しくないわけじゃない。

でも、なんとなく生きていたら、いつの間にかその悲しさは薄れていってしまっただけだ。

 

でも、こうして振り返るたびに。

どうしようもない想いは、みくの中にあふれていって。

その度に、雫が胸に染み込んでいく。

 

じわりじわりと、真綿で首を絞められるように、みくの心が欠けていく。

どうしたら、Pチャンは帰ってくるのだろうか。

そんな、意味のない事ばかり考えてしまう。



Pチャン……あの人は、きっといつまでも、みくの中に残り続けるだろう。

だって、みくにとって、とっても大切な人だから。

もういないなんて、嘘みたいで、今でも信じられない。

でも、現実は、嘘はつかない。もうあの人はいないのだ。

 

これから、みくを照らしてくれる人は現れるのだろうか。

もしもいないなら、みくはどうやって生きていけばいいのだろうか。

 

Pチャン。Pチャンは今、何処にいるの。

みくはここにいるよ。頑張って……頑張ろうとしてるよ。



……また、会いたいよ。Pチャン……

終わってしまったものは、もう二度と帰ってこない。

そんな当たり前の事、分かっている。

 

だから……きっと、どこかで、見ていてね、Pチャン。みくは、頑張っているから。