~清らかな花/滲む世界で貴方に愛を~


「前川氏?」

「あい。何?」

「仕事のオファーが来たんだけど。受ける?」

「内容も聞かずに受けるほど飢えてないにゃ」

 

気だるい土曜日の午後。

家に居てもやる事はないし、今日はレッスンの予定も仕事も入ってない。

となれば、事務所でぽやんとして過ごすのが、一番気楽で幸せな時間だ。

みくにとって、事務所は第二のおうち。

事務所に行けば、ちひろさんとPチャンがいる。

家に一人で居るよりも、事務所にみんなで居た方が気分がいい。

少なくとも、みくはそう思っている。

 

「んで、何の仕事にゃ?」

「ブライダルプランナーの人だって。広告に使うポートレートを撮りたいんだと」

「??? なんて?」

「いや、だからブライダル関係って……」

「ブライダルって結婚式とかのブライダルにゃ?」

「それ以外のブライダルってある?」

「うーん……結婚式の広告? 写真撮るの? モデル? みくが?」

「俺の写真撮ってどうすんだよ」

「需要……ないか。ないね」

「へいへいそうですね」

 

突然降って湧いたお仕事。

結婚式の広告モデルの依頼。

もしかしなくても、ウェディングドレスとか着ちゃうのかな?

……みく、まだ結婚するには早いと思うんだけど……

いや……別に結婚しちゃいけないってわけじゃ……うーん……?

 

「で? どうする?」

「お受け致しますにゃ」

「あら即答」

「だってさ! ウェディングドレスって女の子の夢だにゃ! チャンスがあるなら着たいじゃん!」

「良かったねえチャンスあって。んじゃメールに返事しとくからね」

「にゃ! 楽しみにゃー!」

 

こうして、みくが体験したあの夢のような時間は、ゆっくりと確かに近づいてくるのであった……

 

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「初めまして、広報担当の〇〇と申します。今回はお話をお受けいただき、本当にありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、素敵なお仕事をいただきましてありがとうございます」

「初めまして、よろしくお願いしますにゃ。ところで……どうしてみくをお選びになったんですか?」

「ああ……それはですね、うちのスタッフに前川様のファンが居りまして、是非に、と」

「わあ、嬉しいにゃ!」

 

お仕事の打ち合わせ。

まあそんなに難しい話ではなくて。

普通に結婚式を一回通してやる感じで、その流れの中の自然な姿を写真に収めたい、との事だった。

……いや。普通に写真撮るだけじゃ駄目なの?

結婚する訳でもないのにウェディングドレスを着たら婚期が遅れる……なんて迷信……

信じてないよ? これお仕事だし不可抗力だにゃ?

でも本当だとしたら、通しで式を挙げちゃったらマジでさらにヤバいのでは?

などと考えるみくをよそに、話はトントン進んでいく。

 

「ところでお二人とも、指輪の採寸ってご経験お有りですか?」

「みくはした事ないですにゃ」

「あー……私は一回だけあります。安いリングゲージ買って」

「うわPチャンそんな事してたの。あ、もしかしてたまに左手にしてるアレにゃ?」

「うん、昔欲しくて買ったんだよね」

「シンプルなデザインでしたら、普段使いにもおすすめですからね。指輪はいいですよね」

「分かります……なんかお洒落した気分になれていいですよね……」

「リストバンドならした事あるけど、指輪はした事ないにゃー……付ける機会も無さそうにゃ……」

 

雑談しつつサクサクと指のサイズが測られる。

意外と太いのかにゃこれ……いや分からんにゃ……他人のサイズを知らなすぎる……

まあそんな事もありつつ、打ち合わせは終了となった。

 

「それでは、当日もよろしくお願い致します」「こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いしますにゃ」

 

事務所に向かう車の中で、みくはぽつりと呟く。

 

「結婚式かあ……実際いつになったら結婚できるのかにゃ……」

「アイドルやってるうちは結婚できないんじゃないの?」

「ひっど。年頃の女の子にそういう事言う?」

「いや現実見てくれよ……余程のアイドルじゃないと結婚なんかしたら即炎上だぞお前」

「じゃあみくは30なっても40なっても結婚出来ないって事じゃん!」

「前川さんはそんなにアイドル続けるんです?」

「需要があれば続けたいにゃ。ライフワークだしにゃあ」

「そうか……じゃあ売れ続けるようにしっかりプロデュースしないとな」

「あら。ずーっとみくの面倒みてくれるにゃ?」

「もちろん。あなたの担当Pですよ私は。最後まで面倒見てやるよ、アイドル続けるならね」

「ふーん……じゃあ高校終わってアイドル辞めて実家帰るって言ったらそこで終わりにゃ?」

「まあそうなるかもね」

「あーあ、Pチャンは薄情だにゃ。みくとずっと一緒に居たいとか思わないのにゃ?」

「…………そりゃ、ずっと一緒に居られるんなら……居たいよ」

 

思わぬ打撃。ずっしり重いカウンターパンチ。

軽口のつもりだったのに、気付けばしっとりした空気。

心を抉られたような、思いっきりぶっ飛ばされたような気持ち。

 

「……Pチャンさ。みくの事……好きなの?」

「嫌いならプロデュースしないでしょ」

「そうだよね。……そう、だよね」

 

まあ、思ってた反応。

本心は、測りかねる。

心の中に靄がかかる。

すっきりしない気分。

 

みくは……何を望む?

どんな言葉を返して欲しかった?

……真面目に考える事でもなし、か。

 

「はあ……」

「どしたの。落ち込んでる時のトーンだぞ」

「何でもないにゃ。どうでもいいから今日の夜ご飯奢ってよ」

「どうでもはよくないんじゃないですかね、それ……」

「いいの。ハンバーグ食べたいにゃあ」

「はいよ、楽しみにしてな」

 

空高く、輝く太陽が道を照らす。

……お仕事の日も、天気がいいといいな。

 

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「ふにゃ……すご……」

 

お仕事当日。

控室に入ったみくを待っていたのは、素敵な素敵なウェディングドレスだった。

 

「おはようございます。本日前川様のメイクを担当させていただきます、△△と申します。よろしくお願いします」

「は、はい! 前川みくです! よろしくお願いします!」

 

緊張から、つい声が大きくなってしまった。

いや……本番もこんな感じなのかな……

急に結婚式気分になってきたにゃ……

うわマリッジブルー来たよ……

結婚生活上手くいくか不安にゃ……

こわ……帰りたい……

待って待って? お仕事だってば。今日は結婚しないから。

ぼけーっと考え事をしながら、言われるがままに動き、されるがままに時間は過ぎる。

あれよあれよという間にメイクが出来上がって……鏡に映る自分を見て、みくは息を飲んだ。

 

「すご……綺麗……」

「うふふ……張り切ってしまいました。……実は私、前川様のファンでして……」

「わ! ありがとうございますにゃ! いつも応援ありがとにゃー」

 

脊髄反射で感謝を述べて握手してしまう。職業病だにゃあ。

 

「いつか前川様のメイクをしてみたいと思っていたんです……会議で推しに推した甲斐がありました……ううっ……」

「にゃあ……こんなに綺麗にしてくれてありがとにゃ……後でサインあげますにゃ……!」

「ああ、いえ、そんなつもりじゃ……でも嬉しいです……!」

 

その後ドレスもバッチリ着せて貰い、取り敢えず何枚か写真を撮って貰った。

……みくのスマホで。

当分待ち受け画面決定だにゃこれは……

 

そして、準備が出来たのでいざ礼拝堂へ。

緊張してきた……無理……無理寄りの無理……

なんか呼吸浅くなってきたにゃ。くるしいにゃ。

すーーーー。はーーーー。

ドキドキが止まらないにゃ。やば。駄目だこれ。

お仕事でこんなに上がったの久しぶりかも?

誰か助けて欲しいにゃ……Pチャンどこ行ったのさ……

てゆーか。新婦役はみくだけど。

新郎役は誰がやるにゃ????????

え……なんかやだ……帰りたい……受けるんじゃなかったこの仕事。

誰だろう……広告用なんだから見栄えのいい人用意してるよねきっと。

知らない人と挙式かあ……仕事でもやりたくない方向性だにゃ……

いや。いやいや。有名になれば、今後ドラマのお仕事もきっとあるはずにゃ。

そしたらキスシーンだのベッドシーンだの山程体験するだろう。

それを考えたら、今は結婚式のシーンだと思えば!

どーって事ないにゃ。あー楽になってきた。

我ながら単純だ……操りやすいラジコンでいい事だにゃ。

 

みくが心の準備が出来たことをスタッフさんに告げると、ゆっくりと礼拝堂の扉が開かれる。

祭壇まで伸びる、美しいヴァージンロード。

後から知った事だけど、これは和製英語で、ほんとの英語だとウェディング・アイルと言うのだとか。

皺ひとつない、赤く気高き道を行く。

一歩踏み出す毎に、みくの気持ちは高まっていく。

体験していない記憶。有りもしない思い出が、みくの心を埋めていく。

嗚呼……みくは今から結婚するんだ。

見知らぬ人……祭壇の前で待つあの人と、これから長い人生を過ごすんだ。

それはなんと幸せで、美しい時間であろうか。

先程は後悔したが、訂正する。

こんな体験が出来るなんて、みくはなんて幸せなんだろう。

今、お仕事でこれだけ幸せな気分になれるのだ。

実際に、いい人を見つけて結婚する事になったなら。

その時は、どれだけの幸せに満ち溢れているのだろうか。

 

祭壇の前、新郎役の隣で足を止める。

新郎さんは、みくの手を取ってくれた。

ヴァージンロードを歩いている時は前を向けていたものの、いざ新郎さんの隣となると気恥ずかしくて、俯いてしまった。

どんな人なんだろう。きっとかっこいい人だろうな。

そのうち嫌でも顔を見る時が来る……ちょっと怖いかもな。

みくと新郎さんが祭壇前に進むと、牧師さんが、皆で讃美歌を歌いましょうと音頭を取った。

すると、かわいい子がすっと横から歌詞カードを渡してくれた。

ありがとにゃ、と小声で受け取り、軽く息を整える。

まあ、歌は本職だし。一丁いいとこ見せますか?

やる気に満ち溢れているのもいいけど、でもムードは壊さずにね……おほん。

まずピアノの伴奏、続いて牧師さんが歌い出してくれて、みくや会場の皆もそれに続いた。

 

♪いつくしみふかき ともなるイエスは––

 

その時、みくは声を聴いた。

驚いて、新郎の方を向いた。

そこに、そこに、居たのは。

Pチャン、だった。

 

もう歌えなかった。声が出なかった。

前を向くのが精一杯で、それ以上何も出来なかった。

何故、どうしてPチャンが新郎?

こういうのってちゃんとモデルさん用意するんじゃないの?

何でこんな普通の人を新郎役に置いちゃうの?

何で……何でこんなに、みくの心は高鳴っているの?

 

気がつけば、みくの手に歌詞カードは無くて。

牧師さんが、みくたちに問いかけていた。

 

新郎––––、あなたはここにいる前川みくを、

病める時も、健やかなる時も、

富める時も、貧しき時も、

妻として愛し、敬い、

慈しむ事を誓いますか?

 

はい、誓います。と、Pチャンは言う。

 

新婦前川みく、あなたはここにいる––––を、

病める時も、健やかなる時も、

富める時も、貧しき時も、

夫として愛し、敬い、

慈しむ事を誓いますか?

 

みくは、震える声で、言った。

はい、誓います。

 

では、指輪の交換を––

 

震える手で、グローブを外す。

やっぱり、事態が飲み込めない。

頭がぐらぐらする。

何が起こっているのかさっぱりわからない。

そして、新郎さんと、向き合った。

透き通るウェディングベールの向こうに居るのは、紛れもなくみくのPチャンその人で。

震える手を差し出すと、Pチャンは、そっと手を添えてくれた。

指輪がするりと薬指にはまる。

同じように、みくも震える手でPチャンの薬指に指輪をはめる。

きらりと輝くお揃いの小さなリングが、みくとPチャンの指を繋ぐ。

この瞬間、Pチャンと結婚するんだ、という架空の現実が、実感を伴ってみくに押し寄せる。

それは、みくの瞳を潤すにはあまりにも充分すぎた。

ぽろぽろと、涙が溢れていく。

 

嗚呼……そうか。これが、結婚か。

知らなかった。知っているわけがなかった。

大切な人と、永遠に結ばれるということが。

こんなにも––––幸福だなんて。

 

Pチャンが、そっとベールを上げる。

それで、小さな声で、

「…………本当にしても、いいか?」

なんて。そんなの……ずるいよ。

「……いいよ。仕事、だから」

仕事な訳ない。本心だ。

今この瞬間、心の底から、みくは願っていた。

相手が何にも知らない共演者じゃなくて。

みくのことなら何でも知ってる、いつでもみくの側に居てくれる、Pチャンなら……みくは……

 

Pチャンの顔が近付いてくる。

息遣いが分かるくらい近づいて、それでも一瞬、躊躇っただろう後に、みくの唇に、Pチャンの柔らかくて暖かいのが、ぷにゅっとくっついた。

そうしたら、後はもう単純だった。

まず、幸せな気持ちに包まれた。

次に、実感の波が押し寄せてきた。

その後、涙が止めどなく溢れた。

永遠にも感じられる程に濃密で軽い口付けの後、割れんばかりの拍手が聞こえた。

礼拝堂に拍手が鳴り響く間、Pチャンはみくの涙を拭いてくれていた……本当に、幸せだった。

 

二度と無いだろう機会に感謝しながら、Pチャンと手を繋いでヴァージンロードを歩く。

礼拝堂の外に出ると、ブーケを渡されて、そこでまた写真を撮ってもらった。

そして。今日という日、素敵なお仕事に感謝を込めて、ブーケを投げる。

素敵なブーケはみくの手を離れ、空高く宙を舞った––––

 

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式が一通り終わった後、メイクを直して、今度は庭で写真撮影を行った。

まあ長い時間、色んなポーズ、色んな角度でいっぱい写真を撮ってもらう。

式を挙げるより、ただの写真撮影の方が大分楽だ……まあ慣れてるからにゃ。

布の少ない衣装の時より、今日のドレスの方がすごく気が楽で、これならいくらでも写真を撮ってもらいたいくらいだ。

そんなこんなで仕事も終わり、事務所にPチャンと二人きり。

はー。疲れた。心も身体もボロボロにゃあ。

 

「あー……しんど……」

 

ソファにもたれかかる。

本当に疲れた。今ならよく眠れそうだ。

 

「お疲れ様。水飲む?」

「飲む。…………はー。生き返るにゃ……」

「まるで一回死んだみたいな言い方だな」

「いや、今日は何回死んだか分かんないにゃ」

「ははは……あの、なんか……ごめん」

「? 何故そこで謝罪?」

「や……その……ほら……流れとノリなんかでキスしちゃって……」

「ああ。別に気にしてないよ?」

「本当かよ……それじゃ俺がバカみたいじゃん……本当は嫌だったらどうしようとかめっちゃ悩んでたのに……」

「本当Pチャンは心臓ちっさいにゃ。もっとドカンと構えてて欲しいもんだにゃ」

「いや……はあ……だってさあ……嫌じゃない?」

「何が?」

「好きな人に、嫌われるのが、さ」

 

みくは、ぼっ、と顔から火を吹いた。

……Pチャンは、本当に、みくの事が好きだったのか。

うにゃ……もぞもぞと縮こまる。

改まると恥ずかしすぎてヤバい。もう駄目だこれ。

明日からどういう顔してPチャンと仕事したらいいの?

 

「うにゃあ……あの……みくは……その……」

 

「みくも、Pチャンの事…………好き、だから」

「あのね……キス、いきなりだったけど、嫌じゃ、なかったよ」

「むしろ、とっても嬉しかった、にゃ?」

 

「みく……」

「……えいっ」

 

不意打ちで、Pチャンの口を塞ぐ。

式の時は、軽かったけど。

今度は、もっと濃密に。

二人しか居ない部屋の中で、二人だけの繋がりを求めて。

ゆっくりと、静かに、深く、より激しく。

手を繋ぎ、指を絡め、身体は寄り添い、潰れるくらいに密着して……

それから、どのくらい時間が経っただろうか。

本能のままに貪った後、満足して離れる。

お互いに息が乱れていて、目の焦点が定まっていない。

甘い甘い夢の中で、深い深い幸福に溺れるひと時。

ああ、なんて幸せなのだろう。

 

「ね、Pチャン」

「ん?」

「今のね、みくのセカンドキスなんだけど」

「!? あっ、えっ、おま、じゃあ式の時って」

「うふふ……大切な初めては、バラエティでもドラマのお仕事でも無くて、Pチャンに渡せて本当に嬉しいにゃ……えへへ」

「みく……」

「でもPチャンは百戦錬磨のプレイボーイだから、みくの初めてなんか要らないでしょ?」

「お前ね……分かってて言ってるでしょ?」

「みくはなーんにも分かんないにゃ。Pチャンの事がだーいすきな事しか分かんないにゃあ」

「……はあ。好きだよ、みく。この世の誰よりも、お前の事を愛してるよ」

「む。ため息混じりで投げやりで飾り気のない定型文……」

「……こんな言葉、口にした事ないから分かんねえよ。何が正解なのよ」

「……んふふ。Pチャンはね、それでいいにゃ。大正解だにゃ」

 

「Pチャン。これからも、末永く、よろしくお願いしますにゃ」

「こちらこそ。これからも、よろしくな」

 

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夜。

自分の家のベッドの上。

左手の薬指を撫でながら、ため息を吐く。

あー……今日のは全部夢だったんじゃないの?

いや……これが夢だったら本当に辛い。

全部忘れちゃうのは嫌だ。

あの時間も、あの胸の高鳴りも、溢れるほどの幸福も。

全部全部、泡になって消えちゃうのは嫌だ。

でも、大丈夫。心配はいらない。

だって、これは現実だもの。

頬をつねる。痛い。だから現実。……多分。

 

「んにゃ……はあ……いいなあ……」

 

いくら眺めても飽きの来ない指輪。

貴金属では無いけれど、みくにとっては最高の指輪。

今日のお仕事の記念品として、みくとPチャンにと、貰っちゃったのだ。

後日、今日の写真と動画をまとめた欲張りセットも送ってくれるという。

……うーん……最初は写真を撮るだけの仕事だったような?

 

「まあ……いいかにゃ……」

 

この指輪の輝きと、Pチャンへの愛情、Pチャンからの愛情だけで、何もかも許せる気がした。

……本当に良かった。Pチャンも、みくの事を好きでいてくれて。

明日からきっと……いや絶対、幸せな日々が始まるのだ。

 

みくはアイドルで、Pチャンはプロデューサーだけど。

世の中、そういうカップルはいっぱい居るし。

歳の差だってよくある事だし。

みくが成人してからなら、何しても合法だし。

ファンの皆を蔑ろにする訳じゃないけど、誰に何を言われようが、Pチャンさえ居てくれたらみくはノーダメージにゃ。

いやあ……幸せって怖いにゃあ。足元掬われそ。

はあ怖い怖い。早く寝よ。

 

指輪を撫でながら、布団に潜り込む。

途端にうとうととまどろみ出すので、正直な身体だにゃあと微笑む。

Pチャンは何考えてるだろうな。

もう寝たかな。

指輪付けててくれるかな。

みくだけ舞い上がってないかな。

色んな考えが浮かんでは消える。

眠りに落ちる前の、どうでもいい時間。

割と好きだけど、なかなか覚えてはいられない。

ゆっくり、頭がぼやけていく。

 

そういえば……きょう……ぷろぽーず……しちゃった……な……

あした……ちゃんと……やく……そく……

みくと……ほん……とに……けっこん……して……



昼間はあんなに晴れていたのに、夜闇に紛れて雨が降る。

今日は星が見えなくても、明日はきっとまた晴れる。

いつかきっと、満天の星の下で、私は貴方に乞い願う。

貴方が私を輝かせてくれたから。

輝く私は、貴方を照らしていたい。

ずっと、貴方と、煌めいていたい。

だから、私と。永遠に一緒に居てください。

どうか、みくのお願い。聞いてほしい、にゃ?






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後日。あれから少し経った後の日曜日。

よく晴れた日、みくの事務所が入ってる建物の屋上にて。

みくもPチャンも暇だという事で、ピクニック風にお昼を食べようと、みくが提案したのだった。

 

「天気が良くていいですな」

「ねー。はいお弁当」

「サンドイッチか、いいね」

「スープもあるにゃ。いっぱい作ってきたからたくさん食べてね」

「……残ったら貰ってもいい?」

「ふふ。いいけど、今日中に食べてにゃー」

「ありがたい……いただきます! ……うまい……」

「ふふん。パンはホームベーカリーで焼きましたにゃ」

「いいね……うま……残らねえわコレ……」

 

まあ、このピクニックは突発的な思い付きではない。計画的な犯行だ。

一斤焼くのに何時間もかかるものを、何個もぽんぽん焼けるはずがないからにゃ。

思いついたのは昨日のお昼。

何気なく天気予報を見ると、何と明日は快晴と言うではないか。

じゃあ……お弁当用意して……Pチャンと事務所の屋上で二人きり……なんて考えてにやにやしてたら昼ご飯のトーストを落としたのは置いといて。

 

「そんなに急いで食べなくても大丈夫にゃ。逃げないし、また作ってあげるから……」

「スープもうま……料理の達人かよ……達人だったわ……」

「達人では無いかにゃー……」

 

結局、二人で食べるにはちょっと多いかな、という量を用意した割には、まああっさりと無くなってしまった。

いや、Pチャンのお持ち帰り分はしっかり残ったけど。

Pチャンは、お腹いっぱいで横になっている。

みくは、りんごの皮を剥いている。

しゃりしゃりと皮を剥く音が、青い空に吸い込まれていき、そよ風は、みくの頬を撫でていく。

 

「平和だにゃー」

「何事もない日常は素晴らしいもんだよ」

「たまには刺激が欲しくならないかにゃ?」

「んー……たまにはね。でも基本的に穏やかでいたいよ。怒りも喜びもいらん」

「えー? 喜びは欲しいでしょー?」

「完全にいらないと言えば嘘だけど、身を焦がすような激しいのはいらないという事だ」

「ふにゃ……じゃあこないだの結婚式は? みくは身体の底から震えるくらい嬉しかったけど」

「うーん……反論できん」

「じゃあ、激しい喜びはいるって事じゃん?」

 

剥いたりんごをPチャンの口に放り込む。

 

「もご……まあ、言葉の綾というか。自分を見失う程の感情の揺らぎは、俺にはあまり必要じゃないって事。昔、散々苦しい思いしたからさ……今でも整理ついてない所もあるよ」

「ふーん……みくにはよく分かんないな」

「あんなのは分かんない方がいいさ。今が幸せならそれが一番だ」

 

りんごを皿に盛った後で、Pチャンの隣に寝転び、そのまま抱きつく。

 

「うん、幸せだにゃ」

「はは、そうか」

 

Pチャンが、愛おしそうにみくの指と指輪を撫でる。

みくはたまらず、不意打ちのキスで返す。

Pチャンに全身でくっついていると、頭がぼーっとしてくる。

身体の奥がむずむずして、その後ぶわぁっと幸せな気持ちに包まれる。

……ずーっと、このままでいたいなあ。

 

「……ふふ。こんな所誰かに見られたら、アイドル生命終わっちゃうね?」

「屋上ウォッチングしてる奴なんかいない、とは言い切れないからなあ」

「ま、終わったら終わったで。永久就職先はもう決まってるしー、何にも怖くないにゃ」

「俺は困るんだけどな……担当アイドルに手を出すプロデューサーなんか誰も雇ってくれないよマジで」

「そしたら独立してネットアイドル活動にするにゃ。今時の流れに乗ったるにゃあ」

「乗れるかねえ……もはや赤より赤いレッドオーシャンじゃん。参入出来る気がしないっすよ」

「なーに言ってるにゃ。この世界でアイドルやってる方がよっぽど厳しい生存競争してるにゃ……リアルもネットも変わらないにゃー」

「そんなもんかね……まあそんなもんか」

 

Pチャンが、みくをぎゅっと抱きしめてくる。

 

「まあ、みく。お前さえ居てくれれば、俺は何処でも構わないよ」

「にゃ……本当?」

「嘘ついてどうするのさ」

「にゃふ。嬉しいにゃー」

 

Pチャンのほっぺにすりすりする。

猫チャンの愛情表現の真似っこだ。

 

ただただぼーっと、時間が過ぎる。

何にもしない時間。

ごくごく普通にありふれた、特別な時間。

二人きりの、二度とない時間。

それが、ひどく愛おしい。

……でもいつだって、終わりは突然やってくる。

 

「……ん。大分ゆっくりしたな……パンもりんごもうまかった。ご馳走様でした」

「にゃ? いえいえお粗末様でしたにゃ。……もう帰るの?」

「いや? せっかく事務所来たし、軽く仕事していこうかなと」

「休みの日くらい仕事やめなよ……」

「いや、そうも言ってられないって。急ぎのメールとか来てたらどうするの」

「んー……やっぱりだめ! 今日はお仕事禁止!」

「えー……じゃあ今度は事務所でコーヒー飲んでゆっくりするか?」

「それならよし! 行くにゃ行くにゃ」

 

みくはそそくさと片付けを始めた。

まあ、シートを畳んで、お弁当を片付けるだけだけど。



お空はとっても青くて高い。

みくの心は空を舞う。

ふわふわゆらゆら、愛に揺られて。

何処までも何処までも、優雅な旅は続いていく。

いつか、果てなき空の果てに辿り着くまで。

私の、ありったけの、貴方が壊れてしまう程の愛を。

どうか、どうか。受け取って欲しい。

 

貴方はきっと、嫌がるでしょう。

貴方の心を揺るがす私を。

それでも、私は、捧げたい。

私の全てを、貴方にあげる。

どうか、どうか、最後まで。

私の全てを、愛して欲しい。

貴方が、許してくれるなら。

私は、永遠に朽ちる事ない、

貴方だけの、偶像になれる。

だってみくは、Pチャンだけの、永遠のアイドルなんだからにゃ!