4月1日。
新年度の始まりの日。
まだ春休みだから、みくはお休みの日だけど、社会人なら仕事始めの日なんだろう。
家にいてもすることがないので、いつものように事務所へ行く。
みくがのんびりと事務所に入ると、Pチャンが机で仕事をしていた。
「おはよーPチャン」
「ああ、おはよう」
「何してんの?」
「仕事。見りゃわかるでしょ」
「サボってないかなーと思っただけだにゃ」
ぽすんとソファーに座り、バッグからスマホを出して弄る。
何も通知はなし、と。
「ねえPチャン」
「何」
「今日ってエイプリルフールじゃん」
「そうね」
「何か嘘ついた?」
「いや? つく相手もいないし」
「ちひろさんは?」
「ちひろさんに嘘つくのは恐れ知らずだろ……」
「……それもそっか」
……事務所に来ても、暇なものは暇なものだ。
仕事もレッスンの予定も全く入っていない、たまの短期休暇中とはいえ、やることがないとどうにも締まらない。
何かやること……暇つぶし……
「ん……? ねえちょっと」
「何さ」
「ゲームしない?」
「仕事中なんですけど」
「担当アイドルのご機嫌取りも仕事じゃないのー?」
「うーん……まあへそ曲げられると困るが……」
「じゃあちょっと付き合ってよ。ちょっとだけ」
「仕方ねえな……」
よし、仕事を中断してみくに付き合ってくれるらしい。
何でも言うだけ言ってみるものだ。
こういう付き合いがいいのがPチャンのいいとこだにゃ。
「で、ゲームって?」
「うん。嘘当てゲーム」
「何それ」
「今からお互いにみっつずつ嘘をつきます」
「うん」
「でも、みっつの嘘のうち、ひとつしか本当の嘘をついてはいけません」
「本当の嘘って回りくどいな……嘘ひとつに真実ふたつってこと?」
「そういうこと。で、嘘を当てられたらおめでとうって感じ」
「ヒントは? ある?」
「嘘ひとつにつきひとつだけ質問していいにゃ」
「ふーん……まあ暇つぶしにはいいか」
「んじゃ、メモ三枚あげるからひとつずつ書いてねー」
「口頭じゃ駄目なんです?」
「紙に書いてあった方が整理しやすいでしょー」
というわけで。
「書いてるとこ見ないでよ?」
「見ませんよ」
嘘か……何を書こうかな。
Pチャンを騙せるような、引っかけやすいものは欲しいよね。
嘘さえ言わなきゃいいんだし。
とは言っても……何を書いたものか。
普段から本音で喋ってるから、隠し事の類がない。
うーん。提案しといて困ったことになったな……
しばらくしてお互い書き終わり、ゲームが始まった。
「じゃんけんで先攻後攻決めるにゃ」
「よーし。じゃーんけーん」
「ぽん! はい、みくの勝ち」
「ぐぬぬ」
「ほんとPチャンじゃんけん弱いにゃ……」
「心を読まれているに違いない……かなしい……」
「じゃあPチャンから嘘ついてね」
「はい……」
Pチャンが差し出してきたのは、こんな嘘だ。
・仕事やめようかと思っている
・プロダクションの同僚/上司の当たりが強くて辛い
・ちひろさんが会社やめたいらしい
……うわあ……
「Pチャンさあ……これ嘘ある?」
「そういうゲームでしょ……」
「Pチャンはいつも仕事辞めたいって言ってるし、ちひろさんも同じだし……かと言ってもうひとつはさ、Pチャンいつもプロダクションの人たちの愚痴ばっか言ってるし」
「さあ、どれでしょう?」
「これさ。いつも聞いてることばっかりで面白味ないね」
「精神攻撃やめてくださいますか?」
「うーん……じゃあ、当たりが強くて辛いのが嘘だ」
「ヒントいらないんかい……なんでそう思った?」
「他の人の当たりが強めなのは本当。でも、”辛い”のが嘘だにゃ」
「んー……正解です」
「よーし! やったにゃ」
「これは屁理屈だよなもう」
「そういうゲームだにゃ多分」
「ですよね。まあ、辛いのは辛いけどさ。慣れたし気にしてねえわ。気にしてたらキリがねえわ」
「わかるわかる。煽られるのはしょっちゅうだもんね」
「まあ常在戦場な世界だからねえ。ちょっと自分とこのアイドルのランクが高いとかメディア露出多いとかで、めっちゃマウント取られてるわ」
「Pチャンは取り返したりしないの?」
「さっきも言ったけど、やり始めたらキリがないので。俺はむやみに煽ったりしないよ」
「そういう優しいとこがPチャンのいいところだにゃ」
「ありがとね。じゃあ次は前川さんの番ね」
「はーい」
みくが差し出すのは、こんな嘘だ。
・アイドルやめたい
・学校行きたくない
・Pチャンが好き
「えっ……」
みくが差し出した嘘を見て、Pチャンは困惑していた。
「えっ、お前これは」
「さて。どれが嘘でしょう?」
「ええ……じゃあ……アイドル辞めたいってのは何で?」
「仕事が忙しすぎて自分の時間が取れないのが嫌だにゃ」
「うーん……まあそうだよなあ……せっかくここまで頑張って来たけど……そっかあ……」
「Pチャンさあ……嘘かもしれないじゃん……」
「いや本当の事に聞こえるって……学校に行きたくないのは?」
「アイドルと学生の両立が大変だから。あちらを立てればこちらが立たずで中途半端すぎるにゃ」
「どっちか辞めてどっちかに注力したいってこと?」
「質問はひとつだけって言ったのに……でもまあそういう事かにゃ。どっちかと言われたらみくは学生を取るかもね」
「……本当にアイドル辞めたいの?」
「何というか。可愛い自分にはなりたかったけど、軽い気持ちではどうにもならなかったというかね。生きるのって大変だよにゃあ」
「うーん、どこまでが嘘かわからん……」
「ふふふ。さあてね」
「じゃあ……その……俺の事が好き、ってのは……?」
「にゃふ。恋愛絡みは嘘の定番じゃん」
「え。そっちの意味なの」
「それ以外に何の”貴方が好き”があるにゃ?」
「う……」
「はい、ヒントタイム終わり。さて、お答えは?」
Pチャンはすごく戸惑っている。
ちょっと困らせすぎたかもな。
「うーん……じゃあ、これで」
そう言ってPチャンが指さしたのは、”アイドルやめたい”の紙だった。
「ふむ。どうしてそう思うにゃ?」
「う……いや、これはもう俺の願望なんだけど。アイドルは辞めてほしくないと思って」
「ふむん?」
「俺がプロデュースするようになって、それでみくのやりたい方向性でアイドルやるようになってさ、かなり軌道に乗ってきただろ。今はそれでうまくいってるからさ。もう少しだけ頑張ってみてほしいな、と、思ってさ……」
「ふうん。じゃあ他のふたつは真実なんだ?」
「……宿題が面倒くさいっていつも言ってるだろう?」
「じゃあ、こっちはどうなの?」
みくは、”Pチャンが好き”の紙をつまんでひらひらさせる。
「それは……」
「それは?」
「それは、その。俺のことを好きでいてくれるなら、それは。その……嬉しい、から。そういう風に好かれてるなんて、思いもしなかったから。あはは、ちょっと浮かれてるな、俺」
…………。
沈黙。
いや。そんなに真面目に受け取らないでよ。
軽い遊びなのにさ、こっちも困るじゃん。
「……残念だにゃ! 正解はこれでしたー」
つまんでいた紙を、すっと机の上に戻す。
嘘なのは、Pチャンが好きだということ。
「…………いや! そうだよな! そっかーそっち選べばよかったなー!」
「Pチャンね、全部本気にしすぎだよ」
「だって、お前がマジトーンで喋るのが悪いよ。分からないって」
「うふふふ」
「いや待てよ……じゃあアイドル辞めたいのも学校行きたくないのも」
「本当だよ。まあ、辞めたいだの行きたくないだの、思うだけだけどにゃ。実行はしません」
「一応本当のこと喋ってたの……?」
「まあ、そりゃあね。アイドルと学校のあれやこれやが嫌なのは本当。でも、それは誰もがそう思うことだよね? 単に物事の一側面を切り取っただけだにゃ。嫌なこともあるけど、いいことだって沢山あるよ。だから、やめたいけど、やめられない」
「うん。そうだよな。みくが途中で投げ出すなんて、ちょっとイメージできないわ。今まで諦めずにやってきたもんな」
「うん。辛いけどやめたくないよ、全部。何でもやりたい。みくは、みくの知らないことをもっと知りたいにゃ」
「いいことだよそれは。……しかし。そうか……俺、嫌われてるのかあ……」
「いやー、そんなことないんじゃないかにゃ……好きなのが嘘なだけで、嫌いなわけではないよ」
「本当?」
「本当。別にね、好きじゃないなら嫌いだよ、ってもんじゃないでしょ?」
「まあ、それもそうだな」
そう。ただ”Pチャンが好き”なのは嘘だ。
だって、好きというには、この感情は重すぎる。
かと言って、愛しているなら軽すぎる。
Pチャンのことを親しく思うこの感情は、愛とも恩とも言い切れない。
……まだまだ人生経験が足りないんだろうな。
本当の気持ち……いつになったら、見分けられるようになるんだろう。
こんな答えのあるお遊びじゃなくて、確たる答えのない問題に対して。
じゃあこれからどうやって生きていくんだろう、と思うと、ちょっと気持ちが沈むけど……
「はー負けた負けた。負けたらどうなるんです?」
「んーとね。どうしよっかにゃ。ランチでもご馳走してもらおっかにゃ?」
「はいよ。もういい時間だしな、どこ行く?」
「どこにしよっかな……あ、あそこのお店最近行ってないな」
「あそこってどこさ」
「ほら、あの。この前一緒に行ったとこなんだけど……」
どうしても、感情は付いてくる。
どんな思いも、消し去ることはできなくて。
いつまでもいつまでも、悩んで立ち止まってばかり。
それでも、何とか折り合いをつけて、みくたちは前に進んでいく。
いつか答えを見つけられるように。
いつか、楽園に辿り着けるように。
私の中にある想い、どれが幸せに続いているのか。
貴方のことを想う気持ちに、どんな名前が付くのだろうか。
分からないことばかりだけれど、分からないから幸せなんだ。
何でも分かってしまったら、あまりにもつまらないだろうから。
自分にとっての真実に、ほんのちょっとの嘘を混ぜる。
毎日を強く生きるための、ささやかなおまじない。
自分を騙して、誰かも騙して。
それがいつか、真実になって。
誰もが幸せで、笑える世界に。
でも、やっぱり嘘なんてつくもんじゃないな。
アイドルのみくも、学生のみくも、みくは大好きだって思うから。
好きなことに嘘はつけないし、つきたくない。
いつか、どんな嘘もつかなくていい世界になったらいいな。
「さて、行きますか。ちひろさん鍵持ってたっけなあ……」
「スペアの鍵持ってるんじゃないの?」
「ああ、そうだったな。うっかりうっかり」
「……ねえPチャン」
「ん?」
「やっぱりね。さっきのも嘘だったよ」
「ん? 何が?」
「Pチャンのこと、好きじゃないよって言ったの。本当はいっぱい大好きにゃ」
「はいはい。ありがとね」
「むー! 何で流すの!」
「もう騙されないよ俺は。恋愛するならもっと年の近い人にしときなさいね」
「年齢差なんて関係ないでしょ! てゆーかそういう意味の好きじゃないにゃ!」
「子供はよくそう言うんだよ」
「みくは子供じゃないにゃ!」
「はいはい大人大人。俺の方がよっぽど子供だわ」
「もー! みくの話ちゃんと聞いてよ!」
こんな毎日が日常ならば、いつまでだって続いてほしい。
楽しくて素晴らしい人生に、自分が納得できる生き方で。
せめて、自分の気持ちにだけは嘘をつかないようにしたいなあ。
春の陽気にあてられて、そんなことをのんびりと考えていた。