…………うーん。
「ねえPチャン」
「なんすか」
「事務所のトイレの紙もうないよ」
「ああ……」
「あとハンドソープも切れかけだよ」
「うん……」
「みくさあ、前にもこれ言わなかったっけ」
「まあ……」
「備品補充もPチャンのお仕事なんだから、ちゃんとやってね?」
「今度やっとくよ」
「ん。よろしく」
Pチャンはいつもこうだ。
聞いてるんだか聞いてないんだか分かんない、煮え切らない生返事ばかり。
……みくが口うるさすぎるんだろうか。
いや、そんなことない。
Pチャンの事をを思っての言葉だもん。
お仕事ばっかりで他の事に意識があんまり向かないのを、みくが教えてあげてるんだ。
……それが、恩着せがましい迷惑行為なのかも、だけど。
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……んにゃ。
Pチャン、自分のマグカップを持ったり触ったりしている。
そういえばもうお茶の時間か。
「Pチャン。コーヒー入れようか?」
「ん? ああ、悪い。頼むよ」
「んじゃちょっと待ってねー。ちひろさんも飲むでしょ?」
「あら、ありがとうございますー。ミルクも入れてくれますか?」
「わかったにゃ。Pチャンは?」
「ブラックでいいよ」
「はーい」
みくは知っている。
Pチャンはコーヒーをブラックで飲むと気分が悪くなることを。
コーヒーは好きだけど、カフェインが致命的に合わないんだとか。
本人がそう言ってたからそうなんだろうにゃあ。
でもPチャンはブラックで飲む。
よく分かんないけどブラックで飲む。
以前、『何でそこまでしてブラックなの?』と聞いたことがある。
そうしたらPチャンは、
『だってコーヒーはブラックが一番安定して美味しいじゃん』
と言った。
……分からないにゃ。
体調の方が大事じゃない?
てゆーか、コーヒーにミルクとはちみつ入れると美味しくない?
あと、こんな事も言ってた。
『夜もコーヒー飲みたいんだけど、飲むと全然寝れないんだよなーあははは。それ分かってて飲む日もあるんですよこれが』
……何それ。馬鹿じゃん。
聞いてて頭が痛くなった。
みくだって、体型維持に問題ありと分かっていて、ジャンクフードを食べちゃう日もあるにゃ?
でも、本当にたまにしかやらないもん。
……うん。別にたまにならいいんじゃないかにゃ。
飲みたいものを飲みたいときに飲めないのも、ストレスの原因になるしね。
でもさ、『コーヒーならカフェインレスもあるじゃん?』ってみくは言ったにゃ。
そしたら、
『カフェインレスのコーヒーってあんまり好きじゃないからなあ……』
だってさ。
まあ、無理してカロリーゼロ食品を摂取するくらいなら、みくだって普通のやつ飲み食いするけどにゃ……
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「Pチャーン」
「はい」
「今日は夜ご飯食べてから帰ろー?」
「ああ……そうね、いいよ別に」
「んじゃどこ行く?」
「んー……どこでも?」
「じゃあいつものファミレスでいい?」
「いや……今日は別のとこにしない?」
「えー。今どこでもいいって言ったじゃん」
「やっぱり今日はスパゲッティの気分だよ」
「そーゆー気分はいいけど、それファミレスじゃダメなの? あっちのお店な気分なの?」
「うーん。そういう気分かな」
「んじゃあそこのパスタ屋さんね。どーせミニピザ食べたいとかでしょ」
「分かられてしまった」
「分かるよそれくらい……ほぼ毎回食べてるじゃん……」
これも結構あるあるだ。
どこでもいいって言ったのに、心の中じゃ絶対決まってる。
最初からそう言えばいいのに、面倒くさいったらありゃしない。
……まあ、割と。
みくもそういう事してる気がするんだけど。
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「んにゃ」
「どうかしましたか?」
「今日泊まりに行っていい?」
「何で?」
「いいか悪いか聞いてるのに、質問で返さないでほしいにゃ……今日はもう何もしたくない気分なの」
「そうですか」
「で、いいの? 悪いの?」
「好きにしなよ」
「分かったにゃ。じゃあ泊まるにゃ」
……何だかそっけない。
Pチャン、疲れてるのかな。
みく、何か悪い事したかな。
…………考えすぎかあ。
何か、今日のみく、すっごい空回りしてる気がする。
Pチャン、みくの気持ち、ちゃんと分かってるのかな。
Pチャンがちゃんと応対してくれれば、こんなにもやもやしなくて済むのに。
この前は、あーんなに、みくの事大好きだよって言ってくれたのに。
あーんなに、みくに愛情を注いでくれていたのに。
心変わりのタイミングはいつでもすぐ側に、なんて分かっているけど。
それでも、それでもみくは。
いつまでも変わらずに、たくさんたくさん愛情を注いでほしい。
だから、そっけない対応とか、すっごい悲しい。
幸せだった時を体験しているからこそ、そのままでいたい。
そのままでいてほしい。
うーん、ちょっと、強欲すぎるかな……
Pチャンにだって気分の揺らぎがあるのは分かる。
だってPチャンも人間だもん。
心があるなら、当然の事だよね。
だから、こういう時はみくが我慢しなくちゃ。
わがまますぎると嫌われちゃうかも。
はあ。気が付けばこんな事ばっかり考えてる。
みくの心はもうボロボロだよ……
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「ふう……」
「お風呂あがった?」
「見りゃわかるでしょ」
「はいはい。ほら、こっちこっち」
ぽすぽすとお布団をたたく。
Pチャンとスキンシップが取りたい。
寝る前のグルーミングタイムだ。
「ほんと飽きないねえ貴女」
「だってしたいんだもん」
最近忙しくて、お休みの日が合わなかったからなあ。
我慢の限界だったにゃ。
これくらいは求めても罰は当たらないでしょ?
Pチャンは呆れたような表情で(というかため息ついてる!?)、みくの隣に座ってくれる。
Pチャンが座るや否や、みくはPチャンに抱きつく。
ずーっと、こうやってぎゅーっとしたかった。
愛用のクッションじゃなくて、Pチャンに触れたかった。
空っぽだった心が満たされていくような気持ちになる。
というか、満たされてる。今この瞬間、とても幸福だ。
「はあ……」
「ご満足いただけました?」
「まだまだ。これからにゃ」
改めて位置を取り直して、Pチャンの正面からがばっと抱きつくようにして、ベッドに押し倒す。
あとはそのままPチャンに乗っかりながら、みくはスマホを弄り始める。
「……あの。いつまでこうしてればいいんです?」
「さあ? スマホ手放すまでじゃない?」
それから、ほぼ日課にしているスマホゲーの周回を始めだす。
始めたら割と長いよコレ。
「Pチャン、マルチプレイ手伝ってよ」
「んじゃあ俺のスマホ取ってよ」
「自分で取ればいいじゃん」
「おめーが乗っかってるから動けないんだよ。分かりなさいよ」
「ほら、手を伸ばしたら取れるにゃ」
「伸ばしたくありませんー」
「んにゃ……わがままだなあPチャンは」
「どっちがだよ」
わがままなのは、二人とも同じだ。
同じくらいのわがままで、受け入れられるから許しあえる。
こんな人を、もう一度見つけられるだろうか。
もしもこの人を手放すことがあったなら、もう二度とこんな出会いはないと思う。
未来の事は分からない。
だから、今にしがみつく。
Pチャンは、みくの事、どう思ってるんだろうなあ……
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眠る前、お布団の中。
電気は消えて真っ暗で。
ぼんやりと、Pチャンの顔だけが見える。
「ねえPチャン」
「ん?」
「……変なこと聞いてもいい?」
「どうぞ?」
切りだしてはみたけど、やっぱり恥ずかしくて、ちょっとだけ躊躇ったけど。
「Pチャンはさ、みくの事、どう思ってるにゃ?」
やっぱり、聞いてしまった。
「はあ」
しかし、返ってきたのはため息だけ。
なんだかなあ……
「前川さんね。いっつも同じ質問するよね」
「だって……」
だって。それは。
「だって……不安、なんだもん」
「不安ねえ」
「Pチャンは、優しい時と、冷たい時と、両方あって。優しい時はいいけど、冷たい時はすっごく不安になるもん」
「俺はいつも通りだよ。いつもいつでも。それは単に、お前の受け取り方の問題だろ」
「それはそうかもだけど。でも、いつだって愛してほしいにゃ」
「だからって、人目があるところで抱き合えるか? 愛の言葉を捧げられるか?」
「そうじゃない! そうじゃなくて……なんだろう……」
そこで言葉に詰まる。
表現の仕方が分からない。
それは違う。そういう言い方をしてほしいんじゃない。
でも、どう言えばいいのか、分からないんだ。
「……………………」
「……あのさ」
重たい空気の中、Pチャンが、先に口を開く。
「みく、お前にとって、愛してるってのは何だ? 抱き合う事か? 愛してるって伝えることか? いつもいつでも優しくしてもらう事か?」
「……そんな言い方、してほしくない。みくの気持ち、勝手に決めつけないで」
「言葉で攻めるといつもそういう反応だよね、前川さんは。仕事の時だけはそういうのやめてほしいけども」
「仕事の話なんかしてないでしょ、今」
「まあそれはね。でも同じだよ、俺の中では」
「何が同じなの」
「全部。いろんな気持ちも、それに対する反応も。俺は、みくの事を信じているから、何でも吐き出せる。まっすぐ伝えられる。思った事をそのままそっくり垂れ流してしまう。それで、お前を傷つけることもある。不快にさせるときもあるだろ」
「……うん」
「その全てが、いやこう言ったらずるいと思うけど、お前への愛情から来る行動の結果なんだよ。みくの事を心から思っているから、俺の全てを受け取ってほしい、汲み取ってほしいというか」
「何それ。超面倒じゃん。馬鹿なの?」
つい、きつい言葉が漏れてしまう。
そんなこと言いたくないのに。
「馬鹿だからこうなってるんでしょ。みくの事を好きになっちゃって、それでうまいこと両想いになっちゃったから、気持ちを隠すことを忘れちゃったんだよ。ま、今更、どの気持ちが先だったかなんか覚えちゃいないが」
「でも、これだけは覚えていてほしい。いつ、どんな時でも、お前の事を愛しているよ。それがどんな形で出力されるかは俺にも分からないが、それでも、お前を愛してる。心の底から、心の器が壊れそうになるくらいに」
Pチャンが、みくをぎゅうっと抱きしめる。
それこそ、みくが壊れちゃうくらいに。
「……そんなの。みくだって、同じだよ」
「みくだって、Pチャンの事が好きだから、何でも言える。何でも出ちゃう。仕方ないじゃん。言わないと、気が済まないんだもん」
「だから……今日は、優しくしてほしかった。それが、今日のみくにとっての、愛してるって事だったの」
さっき、詰まっていた言葉が、するりと喉から流れていく。
ああ。そうだよね。
今日、いつだったか思った事だ。
みくたちは人間だ。心がある。
人の気持ちには揺らぎがある。
みくの心とPチャンの心は同じじゃない。
だから、揺らぎ方も違うし、すれ違う時もあるんだ。
「なら、今からでも優しくしようか?」
「にゃふ。もう今日は終わっちゃったよ。Pチャン遅すぎ」
ふっと、気持ちが楽になった。
自分の気持ちを言葉にするのって大変だな。
「そう? じゃあもう寝ようか。明日はちゃんと愛してあげるからね」
「んにゃ。じゃあPチャンはどうなのさ」
「どうって、何が」
「Pチャンにとって、どんなのが愛してるって事なのにゃ」
Pチャンに優しく頭を撫でられながら、みくは甘えた声で問いかける。
あと。なんだか急に眠くなってきた。
Pチャンにくっついてるといつもこれだ。
Pチャンのそういう所が嫌い。
みくの事をいつでもすっごく安心させちゃう悪い人なんだもん。
「俺は……いつでも、みくが側にいてくれる事かな。俺が愛されてるなって思うのは」
「ふふっ、何それ……それならいつもいつでも、みくに死ぬほど愛されてるじゃん」
「だって、俺の側に……心にまで寄り添ってくれる存在なんて、今までいなかったから」
「……それなら……別に、側に、いてくれるなら……みくじゃなくても……いいじゃん」
「それは違う。みくじゃなきゃ駄目なんだよ。もう、みく以外、考えられないから」
……………………
「……俺は、みくのそういう所が嫌いだな。大事なとこだけ聞いて、勝手にどこかへ行っちゃうところ」
「でも……そういうところも含めて、大好きなんだよね……みく……」
Pチャンが、ぼそぼそと、何か言っている。
でも、眠すぎてもう聞こえない。
でも、きっと、愛してくれているんだろうな、というのは分かる。
分かるからこそ、安心して、抱いていられる、抱かれていられる。
Pチャンの事が大好きだから、こうやって、一番側に擦り寄っているんだから。
もちろん……同じだけ、みくにも分かりやすく愛してくれるよね?
なんて、わがままで、都合のいい事言っちゃって。
でも……そういうわがままだって、受け取ってほしい。
かみ砕いて、飲み込んで、全部全部愛してほしい。
きっと、Pチャンはそういう事を言ってたんだ。
あれ。じゃあ、みくたち、同じ事を思ってたって事じゃないか。
なんだ。
言葉が足りなかっただけで。
気持ちが少なかっただけで。
お互いの事を、好きなんだ。
二人して、愛していたんだ。
意識が落ちる前に、そこまで頭が回ったかどうか、なんて覚えていないけれど。
それでも、事ここに至ってようやく、今日も幸せな一日だったんだなって事が分かった。
終わりよければなんとやら。
単純な頭をしている事の、いいのだろうか悪いのだろうか。
今日は、気持ちよく眠れたから。
じゃあ、明日もそうやって眠りたい。
毎日毎日、愛を確かめ合って終わりたい。
そう思ったみくは、この翌日から飽きるまで、毎晩毎晩チャットアプリで通話をねだった。
時に優しい言葉を、時に冷たい反応をくれたPチャン。
それでも、『毎晩通話するのは嫌だ』とは決して言わなかった。
むしろ、
「こうやって毎晩『お休み』って言い合えるなら、もっと最初から言っておけばよかった」
だのと言われる始末。
そりゃそうでしょう。
他人の心なんて、分からないんだから。
だから言葉にしないと、伝わらない。
伝え方が下手でも、チャレンジしなきゃ一生真実は伝えられない。
形の無いものに形を与えることを怖がらないで、ちょっとでもやってみればさ。
案外簡単に伝わったりするんだから。
なんて事をぺらぺらと喋ってしまって、
「物わかりのいい人ですね前川さんはね」
などと突っつかれる羽目になる。
まあ、それはそれで嬉しいから、どうでもいいんだけどさ。
Pチャンもな、もうちょっとみくに突っ込んでみてほしいのにな。
そうしたら、みくの素顔も暴けると思うんだけど。
そう言うと、
「いつも通りのみくが一番好きだから、その下の素顔とかどうでもいいよ」
だってさ。
つまんないの。
こうして、みくたちの毎日は過ぎていく。
お互いの感情を探りあって、そこにあるはずの愛情を確かめ合いながら。